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No.16979投稿日時:2017/08/08(火) 14:00  <↑親記事:No.16975>
投稿者:コウノドリ

辞書とは現在国内で使われている言葉の意味を正誤に関係なく後追いして採録する、記述主義的性質を持つ。その最たる三省堂国語辞典は、第7版の誤用撤回について、「理由は、語源として正しいという規範的見解か、実例があるという記述的見解か」との問い合わせに対し、「元来正しいという規範的見解ではない」と回答している。また早くから「的を得る」を採録している日本国語大辞典の編集長自ら、「的を射る/得るなら射るの方が正しい。しかし、日国は用例があるものを載せている」と明言している。そして角川はじめ多くの出版社が、三国に追随して見解を変えるのではなく世間や国の動向を確認して決めると、今後の方向性を示している。つまり辞書とはそういうものだ。
一方、言語教育や言語政策行政に関わる者は、社会的に規範主義の立場をとらざるを得ない。特に外国人に日本語を教える場合には、国の見解に則り、かつ用例の現状を踏まえ、さらに今後の展望を見据えるという多面的な役割が求められる。一つ一つの言葉に対して、慎重になるのは当然だろう。
さて私自身の見解を述べよる。正誤論から言えば、『礼記』の「不失正鵠」を「正鵠を失わず」と誤訳し、本来の「中正鵠」の意から離れて生じた「正鵠を得る」という慣用句にそもそもの要因があると考えているが、これはあくまでも言語研究者としての個人的見解である。日本語教育者としては、学習者の利益を第一に考え、実際に次のように指導している。
「的を得る」は「的を射る」の誤用として認識されてきた経緯から、現在もマスコミのハンドブック等公的用法としては「的を射る」を正用とすることが多い。ただし将来的に「的を得る」の用例が増えれば、通用語として多くの辞書に採録され、「的を射る」との併用もしくは逆転現象も起こり得るだろう、と。
以上、質問があったので、「的を得る」に関する私の個人的見解と学習者への対応について述べた。なお、山口との間で論点となっている三国第7版「得る」の語意に関しては、第3版誤用説同様、辞書として果たすべき役割を逸脱した、全く無意味で根拠のない記述であるとの見解を持っていることを付け加えておく。

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