日本語学校の職員室から
時計は時刻を知らせるためにあり、私たちは時計を見て現在の時刻を知ります。現在の時刻がわかれば、あれから何分経ったとか、あと何分残っているとか、経過時間または残り時間が計算できます。
教室にも時計があり、教師は容易に時刻を知り、時間の計算ができるようになっています。私は根が理系人間ですから、時計のように数字が書かれているものがあると、そちらに目が吸い寄せられます。授業中、たびたび私の視線が時計に向かうと学生たちも落ち着かないでしょうから、むしろ時計を見過ぎないように気をつけています。
ところが、日本語教師養成講座や大学の日本語教育専攻の教壇実習を拝見すると、緊張のあまりか、教室の時計をろくにご覧にならない方が目立ちます。いや、職員室で耳を澄ましていると、プロの教師として授業を受け持っている先生方の中にも、そういう方が少なからずいらっしゃるようです。予定の進度まで行けなかったとか、授業をいくらか延長したとか、そんな話がしばしば聞こえてきます。
これだけのことをするのにはどれだけの時間がかかるかという時間の感覚は、この仕事をしていく上で必須の感覚です。同時に、時計で時刻を確認し、残り時間から、これから何をするのが最善かをとっさに判断し、それを実行に移していく能力もまた、極めて重要です。これらは教案を授業という形にする際の詰めの力です。これがなければ、どんなに立派な教案を立てたところで、絵に描いた餅に過ぎません。・
では、こういった力はどこで得るのか、磨くのかと問われれば、実際の授業と答えるほかはありません。誰もいない教室で教案のセリフを読み上げても、それは畳の上の水練です。もちろん、漫然と授業をしていたら力は付きません。自分で目標を意識して、その目標に対してどのくらい達成できたかモニタリングすることが肝心です。これが、真の意味での「日本語教師経験者」への道筋なのです。