日本語教師体験談
オーストラリア
藤由紀子さん 1983年生まれ私の体験談(オーストラリア)

●プロフィール

大学(文学部地球環境学専攻)在学中、4回生。
9ヶ月間休学してこのプログラムに参加。

●参加の動機

目的 一度海外に行って、異文化圏の人と生活してみたかった。

◇日本語教師関連の資格  なし

◇プログラム満足度は  120点/100点

◇TOEIC出発前と帰国後のup率  180点up

 

▼学校のプロフィール

・学校の地域 オーストラリア QLD州 Cairns
・地域の人口 約15万人
・学校の形態 公立小学校(プライマリー)
・職員数/生徒数 60人/650人
・私が教えた学年 Year1〜7
・1週間の平均授業数 25lessons
・学校の様子 : 創立80周年以上の歴史のある学校。日本語の授業に関しては15年以上の歴史があり、小学5年生から7年生までに日本語のクラスがあります。毎日授業があるなど、大変熱心に取り組んでいる学校です。

 

▼私の体験談 「この8ヶ月は私の宝物です」

 大学生になったら留学する・・・と高校の頃から漠然と思っていました。留学の夢がかないオーストラリアまでやってきたのですが、最初の1ヶ月はとてもつらく長いものでした。何しろ、TV、まわりの人間、学校、家、スーパーのチラシまで全部英語。日本語が使えない環境は想像以上につらかったです。話せない、聞き取れない、そんな自分に悲しくなって泣きたいときもありました。

 変化は2ヶ月目に現れました。スクールホリデー中に旅行したのですが、2週間のツアーをする中で、ウルル(エアーズロック)を見たり、カカドゥや雄大な自然の中で、生活し、世界中の国の人と語り合ったり、はしゃいだりして旅行の楽しさを知りました。そしてその旅行が終わり、ステイ先に帰るとホストマザーが「英語、聞き取りできるようになったね。」の一言。その後は学校や毎日の生活が段々楽しくなり、慣れてきました。

 8ヶ月が経とうとしている今、英語を話すことはとても楽しいです。日本語の授業も自分から積極的に提案したり、一人でlessonをやらせてもらったりして、度胸が付いたし、何より楽しめるようになりました。(余裕を持つところまではいきませんが。)

 また、この研修で社会と英語、どちらも教える教師になるという新たな目標も出来ました。今はまだトロピカル・バカンスモードですが、日本に帰国後、現実の世界に戻っても今の気持ちを忘れず日々頑張り、楽しんでいきたいと思います。

 この8ヶ月は私の宝物です。BBIさんありがとうございました。

 

▼ある日のスケジュール

7時 起床
7時30分 朝食 シリアル コーヒー
8時 学校到着
8時50分〜9時35分 My Family grammer
9時35分〜10時20分 My Family grammer
10時20分〜10時50分 My Family grammer
11時 昼食 サンドイッチ、りんご、Timtam2コ、ヨーグルト
11時30分〜12時15分 My Family grammer
12時30分〜13時15分 My Family grammer
14時05分〜14時50分 My Family grammer
15時〜17時30分 Cafeでホストマザーとおしゃべり or Shoping
18時 家到着
20時 夕食 ステーキ、Chips、wine、salad
20時30分〜22時30分 ホストとおしゃべり & TV
23時30分 就寝

Q 行なった授業内容を教えてください

making sushi、making dumpling、origami lesson、Japanese toy's lesson、Japanese songs 、grammerなど。

Q 授業を一人で任されましたか?  Yes

日本のおもちゃ(まりつき、けん玉、コマ)を使って遊ぶlessonを一人でしました。どのように使うのかや実際にデモしたあと子供たちにやらせました。

Q 日本語授業以外で教えた科目などありますか?  Yes

リクエストがあったので、普段は日本語のレッスンがないYr3に行き、折り紙を教えました。また、P.Eにも参加しレッスンのお手伝いをさせてもらいました。

Q 派遣地はどんなところでしたか?

熱帯雨林気候の暑い地域でした。湿度がたかく、怪我をすると傷口が治りにくかったです。また、日差しが強くサングラスは必須でした。すごく暑いのでプール&エアコンも必須!!

Q このプログラムを選んだポイントは?またこの国を選んだポイントは?

どうせ海外に行くなら「語学学校plus ホームステイ」では物足りないと思ったから。将来教師になることを考えると海外で先生をすることは将来役に立つと思ったし、何よりも海外の学校で教えてみたい!と思ったから。あと、オーストラリアは英語に不安があった私のとって行き易い国だったから。(親日家が多い、多民族国家と聞いていたから。)

Q 研修中に感じた辛かった事、楽しかった事、学んだ事等を教えて下さい。

日本を出て、物事を違う角度から見れるんやと気付いた。日本の常識がオーストラリアではstrangeな事も良くあった。だから、周りに流されずにしっかり自分の軸を持って生きていかなあかんなと思った。(日本軸でもなくオーストラリア軸でもなく。) また、文化の違いから(そんな大げさなものでもないけど)相手(オージー)の言動に傷ついたりすることがあった。異文化の人と話すときはなおさら相手の気持ちを考えて話さないとだめだと思った。でも、オーストラリアでは8ヶ月通して基本Happyでした!!

Q 日本出発前にしておけば良かったことは何ですか?

特になし。

Q 費用は全部でおおよそいくら掛かりましたか?

BBI参加費用 56万円
生活費(ステイ代含む) 60万位
旅行 35万位
合計 150万円くらい

Q 出発前と現在の英語力は何が違いますか?どれくらい伸びたと思いますか?

全く違う。オーストラリア1ヶ月目は英語を聴くこと、話すことに疲れていて、泣きそうになる時が何度もあった。今は英語を使うことが当たり前だし楽しい。新しいスラングや単語ももっと知りたいと思うようになった。

Q 今後の目標は何ですか?

将来、教師を目指しているが、オーストラリアで教壇に立って教えたことやオーストラリアで暮らしてる中で、気付いた事感じたことを先生になる過程で生かせたら良いと思う。(採用試験などで生かせればと思っています)

Q これから参加される方へアドバイスお願いします。

ホストマザーでも日本語の先生でも誰でもいいから何でも話せる人をつくるのがよいと思います。ストレスをためないように思ったことは話すようにすると良いと思います。後は常にchallenge精神と日本語教師を楽しめばもうこっちのもんです!

Q 現地サポートはいかがだったですか?

最初現地について、誰も知らない人ばっかりだったので現地研修があることは大変心強かったです。派遣されてからもMonthly ReportやこまめなTEL等で気を引き締められたり、頑張ろうと思いました。本当にBBIにして良かったです。

オーストラリア
青島里恵さん 1979年生まれ私の体験談(オーストラリア)

●プロフィール
大学を卒業後、システムエンジニアとして勤務。

●参加の動機・目的
英語を使えるようになることと、外国人に日本語を教える事。日本語を教えたいと思って英語を勉強していたので最適なプログラムでした。

◇日本語教師関連の資格

   大学の副専攻履修及び、420時間養成講座
◇プログラム満足度は    100点/100点

 

▼学校のプロフィール

学校の地域 オーストラリア QLD州 Yeppoon(ブリスベーンより北に約680キロ)
地域の人口 約8千人
学校の形態 公立中高校(セカンダリー) 週一回別の小学校へ
職員数/生徒数 70人/900人
私が教えた学年 Year9〜12
1週間の平均授業数 18コマ
学校の様子 20年にわたって日本語を勉強している日本語授業に対して大変熱心なセカンダリースクールです。Year8〜12の全学年の生徒に対して日本語の授業が行われており、隔年で日本への旅行も企画しています。話す、聞く、読む、書くの4つの部門に対して授業を行っており、特に旅行等でのコミュニケーション能力向上に力を入れています。また、書道等の授業も行っています。

 

▼私の体験談 「たくさんの人との出会いが、私を一回り成長させてくれました」

 かつて、大学で日本語教授法を学び、教育実習なども行い日本語を教える難しさを肌で体験しました。大学卒業後、日本語教師の道のりも考えましたが、日本では日本語教師の枠が狭いと言う事で、大学の教授の勧めもあり、企業でシステムエンジニアとして働く事となりました。しかし、「大学で勉強した事を生かし日本語を教えてみたい!」という気持ちが強く、3年勤めたあと、会社を退職しオーストラリアへ出発しました。

 私は、YEPPOONという町で日本語教師を体験しました。自分が派遣されることにならなければ、場所も名前すらも知ることがなかったような小さな町、海辺の町でした。そこでの生活は、平日は学校に行き授業をし、週末はボートで島にいったり、シュノーケル、サーフィン、スケートボード、乗馬、魚釣り、カヌー・・・。

 毎日が新しいことの連続で、新鮮で楽しくあっという間でした。10件以上の家にホームステイをさせてもらい、小さな町には、わたしのファミリーばかりになりました。そこで生活して私が学んだことは、「YES、NO」をはっきり伝えることと、いい意味で周りを気にしすぎないという事でした。人と同じが良しとされがちな日本で育った私は、おおらかでそれでいて自分をしっかりと持っているオージーはとても魅力的でした。

 また、心に残った事として、人との出会いと別れです。小さな町だけど多くの人と出会えた分、最終日が近づいてくるのが、寂しくて仕方ありませんでした。ここで会ったひとりひとりとの出会いと別れが私にとって一番心に残っています。このたくさんの人との出会いが、私を一回り成長させてくれた気がしています。

 

▼ある日のスケジュール

6時30分 起床
7時15分 朝食 トースト オレンジ コーヒー
8時30分 学校到着
9時10分〜10時20分 12年生 リーディング、新出漢字の練習
10時20分〜11時30分 9年生 カタカナカルタ、形容詞
11時30分 昼食 サンドイッチ、クッキー、リンゴ、オレンジ
12時15分〜13時25分 空き時間 単語カードなど作成、授業の準備
13時25分〜14時20分 11年生 ライティング 単語並び替えゲーム
15時30分 家到着
15時30分〜7時 ホストファミリーと過ごす
19時 夕食 ステーキ、ポテト、ブロッコリー、パン
19時30分〜22時30分 夕食の後片付け、テレビ鑑賞、シャワー
22時30分 就寝

 

Q 行なった授業内容を教えてください

専任の先生について本を読んだり、会話の練習相手をしたり、日本の文化の紹介など、 文法を教えることより、リスニング、スピーキング中心でした。

Q 授業を一人で任されましたか?  Yes

専任の先生から「教科書○○ページを教えておいて」など指示があった場合は、その文法を勉強しゲームなどを取り入れて反復練習などをし、指示がない場合は、折り紙や日本の文化の紹介、日本昔話をみんなで英語に訳したり、カルタなどのゲームをしました。

Q 派遣地はどんなところでしたか?

海辺にある小さくてきれいな町。のんびりとした雰囲気です。夏はとても暑かったです。

Q このプログラムを選んだポイントは?またこの国を選んだポイントは?

大学で日本語教授法を勉強して、学生のときから日本語教師というものに興味がありました。また、このプログラムに参加することで、日本人の少ない場所で、おおらかなオージーと大自然に囲まれた環境で生活できることと、カウンセリングや研修などのバックアップ体制も充実していたこともポイントの1つです。

 

イギリス
山田美香さん

●派遣先と期間:セカンダリースクール(中・高校) 1年間

 

▼私の体験談

 私が滞在したところはロンドンから鉄道で2時間ほど北西部に行ったところにあるのどかなイギリスの田舎町でした。元々イギリスの生活に憧れていて、機会があれば長期間滞在してみたいなと思っており、また大都会ではなく静かな場所でのんびりとしたイギリス生活を送りたいと考えていたので、環境的には絶好の場所でした。
 また、私が派遣された学校は中学と高校が一緒になった私立のセカンダリースクールで、普段は他の生徒と一緒に授業を受けながら、週2時間を正規授業の一環として、また週3日は休み時間や放課後には希望者を集めて簡単な日本語や日本文化を教える活動をしていました。私の学校ではこれまで日本語は教えられた経験がなく、初めて授業で日本語を教える試みを始めた学校だったので、どういった事を教えるかについてはほとんど私に任されていました。それまで日本語の授業などした事がない私にとって最初はそれがプレッシャーでもありましたが、元々異文化に触れたり日本の事を外国の人達に教えたりする事が大好きだったので、生徒や先生達が日本の事を興味深そうに質問してくれると私も嬉しくなってついつい時間をオーバーしてしまったり・・・イギリスの生徒達は普段はお行儀がいいのですが、ゲームや折り紙、また日本料理を作ったりした時はとてもはしゃいだりして、「ああ、日本の事に興味を持っているんだなあ」と実感すると共に、身体は大きくてもやっぱりまだ子供なんだと嬉しくなりました。またしばらくして慣れてくると校長先生が私に近くの学校を紹介してくださり、その学校でも週1回日本についての紹介をするようになりました。
 学校は全寮制だったので滞在は他の生徒と一緒に寮での生活でした。最初は「寮なんて窮屈そうで嫌だなあ」と思っていたのですが、一人一人に個室が与えられシャワールームなども充分な数があったので全く不自由な生活ではなく、プレイルームにはいつも誰かがいるので逆に寂しい思いをする事なく過ごせたと思います。
 イギリス滞在中は、もちろん楽しい事ばかりではなく、悔しい思いや辛い思いを経験した事もありましたが、学校の生徒達や先生方の生活の中に受け入れられ、感謝と興奮の毎日を過ごす事ができたと思います。反省としては、出発前にもう少し英語力を高めておく事と、日本の事についての知識を増やしておくべきだったと思います。日本について聞かれても自分が知らなくては説明できないし、また英語でうまく表現できずにもどかしい思いをした事も一度や二度ではありませんでしたので、これから行かれる方へのアドバイスとさせていただきます。
 一度でいいから海外生活を経験してみたい、英語も勉強したいし、ただの語学留学ではなく、何か人の役に立つような事もしたい、そんな気持ちから参加したこのプログラムですが、思った以上に私に素晴らしい経験をもたらせてくれたと思います。
 出発前は長いと思っていた10ヶ月間でしたが、過ぎてみるとあっという間で、日本では絶対にできないような事がたくさん味わえた中身の濃い10ヶ月間でした。

 

ドイツ
中田明子さん(30歳)

●派遣先と期間:ベルリン市内のギムナジウムにて 1ヶ月間

 

▼私の体験談

 私がお世話になった学校は「ゲザムトシューレ」といって、ギムナジウムとレアルシューレ、ハウプトシューレが一緒になった大きな学校でした。日本語の先生はドイツ人女性です。日本語の授業は9年生(15歳)のクラスで、火曜日に45分×2時間、金曜日に45分×1時間の授業がありました。水曜日には日本AG(アルバイトゲマインシャフト)というクラブ活動のような時間があり、日本に関するさまざまな活動をします。また、現在ベルリン市内のさまざまな高校から日本語を勉強している生徒が有志で集まってシアタープロジェクトという活動をしていました。これは、来年の「日本におけるドイツ年」におけるプロジェクトで、彼らが日本で上演する演劇の練習でした。全部で20人近い生徒が水曜の午後に私の学校に集まり、熱心に演技の勉強をしていました。
 通常の授業は、生徒は8人で、ちょうどひらがなの勉強を終えたところだったので、ひらがなで文章を読む練習や簡単な漢字の練習などをしました。授業では、日本人である私が発音をしたり、先生と私で会話をしたり、見本で字を書いたりすることで、多少なりとも生徒たちは刺激を受けているようでした。また、最初の授業では、日本に関する質問に答えたり、日本地図を見ながら、ドイツでの日本の違いや、さまざまな都市についての説明をしました。また、数の数え方の授業の時は、日本のお金を持っていって見せました。先生はとても理解がある方で、私の提案を受け入れてくれたり、日本の学校制度に関するドキュメントビデオを授業で見たときにも、極端な内容のビデオだったので「これはとてもネガティブな例ですね」と公平な立場で生徒に説明し、またその後で私が補足説明をするという形にしてくれました。
ベルリンでは特に20年ほど前から日本語教育に力を入れているということで、独自の教科書を作り、日本語の授業を行っている学校も多数あります。日本語に対する取り組み方ですが、近年、漫画やアニメなどの影響から日本に興味を持つ子どもも増え、文化の違いに興味を感じて日本語を勉強する生徒から、アビチューア(ギムナジウムの卒業試験)の二次試験で日本語が選べるようになり、それを目指して真剣に日本語に取り組む生徒まで、さまざまなようです。生徒の関心や目的に合わせて授業を進めることが大事だと思いました。日本語に対する興味を持続させながら、語学を習得させるというバランスを上手くとるのは大変難しいと思いました。
 今回は初心者クラスが多かったので、日本人であるというだけで存在意義ができましたが、発音、ひらがなをしっかり教えることが重要でしたので、私自身、ひらがなの正しい書き順や形を覚えなおしたりと、改めて日本語を見直さなければなりませんでした。もっと上のレベルを教えるには、さらにしっかり日本語を身につけることが重要だと感じました。しかし、さまざまなレベル、年齢の日本語に興味にあるドイツの人々とふれあうことができ、大変有意義な実習になったと思います。

 

タイ
村田あつこさん(23歳)

●派遣先:バンコク

 

▼私の体験談

 タイ語が話せるわけでもない私にできることは、今の日本をもっともっと好きになってもらうことでした。
生徒に会って初めて思ったこと、それは彼らが日本語を勉強したいのは、ただ日本語や日本の文化が好きだからではなくて、日本のかわいくて、かっこいいアイドルが好きだからだということ。だから日本語を勉強したくて、もっともっと日本のことを知りたいのだろうということでした。そして日本語教師の資格を持っているわけでもなく、タイ語が話せるわけでもない私にできることは、今の日本をもっともっと好きになってもらうことでした。こうして今振り返ると、本当にいろんなことがあったように思います。初めての教室に行ったとき席につかせるので一苦労の生徒達を前に唖然とし、ここはタイだったことをあらためて感じました。そんな彼らを50分間集中させる為に毎日、必死で授業の準備をしました。10準備して3使うのが現実です。それでも難しすぎて失敗し、次の授業で補足のプリントを配り、どうにか授業を進めました。
 笑顔でごまかした1週間目、学校を、生徒を、マイペンライ(気にしない)でアライゴダイ(なんでもOK)のタイを理解することにしました。ちょっと板についてきた2週間目、生徒のチューレン(あだ名)を覚えることにしました。その気になって来たころ3週間目、本気で、私のひどいタイ語の発音をなおすことにしました。もちろん先生は生徒です。変化があったのは2週目、日本語クラスではない生徒が日本の大学に行きたいと相談に来たり、中学までも日本のアイドル雑誌持って遊びに来てくれるようになりました。そして、授業の空き時間には日本のビデオを見るようになりました。 ...いつのまにかいろんな生徒が集まってきておしゃべりに、なんてこともたくさんありました。それも楽しかったなぁ...

 

 

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