
オーストラリア |
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藤由紀子さん 1983年生まれ
●プロフィール 大学(文学部地球環境学専攻)在学中、4回生。 ●参加の動機 目的 一度海外に行って、異文化圏の人と生活してみたかった。 ◇日本語教師関連の資格 なし ◇プログラム満足度は 120点/100点 ◇TOEIC出発前と帰国後のup率 180点up
▼学校のプロフィール・学校の地域 オーストラリア QLD州 Cairns
▼私の体験談 「この8ヶ月は私の宝物です」大学生になったら留学する・・・と高校の頃から漠然と思っていました。留学の夢がかないオーストラリアまでやってきたのですが、最初の1ヶ月はとてもつらく長いものでした。何しろ、TV、まわりの人間、学校、家、スーパーのチラシまで全部英語。日本語が使えない環境は想像以上につらかったです。話せない、聞き取れない、そんな自分に悲しくなって泣きたいときもありました。 変化は2ヶ月目に現れました。スクールホリデー中に旅行したのですが、2週間のツアーをする中で、ウルル(エアーズロック)を見たり、カカドゥや雄大な自然の中で、生活し、世界中の国の人と語り合ったり、はしゃいだりして旅行の楽しさを知りました。そしてその旅行が終わり、ステイ先に帰るとホストマザーが「英語、聞き取りできるようになったね。」の一言。その後は学校や毎日の生活が段々楽しくなり、慣れてきました。 8ヶ月が経とうとしている今、英語を話すことはとても楽しいです。日本語の授業も自分から積極的に提案したり、一人でlessonをやらせてもらったりして、度胸が付いたし、何より楽しめるようになりました。(余裕を持つところまではいきませんが。) また、この研修で社会と英語、どちらも教える教師になるという新たな目標も出来ました。今はまだトロピカル・バカンスモードですが、日本に帰国後、現実の世界に戻っても今の気持ちを忘れず日々頑張り、楽しんでいきたいと思います。 この8ヶ月は私の宝物です。BBIさんありがとうございました。
▼ある日のスケジュール 7時 起床 Q 行なった授業内容を教えてくださいmaking sushi、making dumpling、origami lesson、Japanese toy's lesson、Japanese songs 、grammerなど。 Q 授業を一人で任されましたか? Yes日本のおもちゃ(まりつき、けん玉、コマ)を使って遊ぶlessonを一人でしました。どのように使うのかや実際にデモしたあと子供たちにやらせました。 Q 日本語授業以外で教えた科目などありますか? Yesリクエストがあったので、普段は日本語のレッスンがないYr3に行き、折り紙を教えました。また、P.Eにも参加しレッスンのお手伝いをさせてもらいました。 Q 派遣地はどんなところでしたか?熱帯雨林気候の暑い地域でした。湿度がたかく、怪我をすると傷口が治りにくかったです。また、日差しが強くサングラスは必須でした。すごく暑いのでプール&エアコンも必須!! Q このプログラムを選んだポイントは?またこの国を選んだポイントは?どうせ海外に行くなら「語学学校plus ホームステイ」では物足りないと思ったから。将来教師になることを考えると海外で先生をすることは将来役に立つと思ったし、何よりも海外の学校で教えてみたい!と思ったから。あと、オーストラリアは英語に不安があった私のとって行き易い国だったから。(親日家が多い、多民族国家と聞いていたから。) Q 研修中に感じた辛かった事、楽しかった事、学んだ事等を教えて下さい。日本を出て、物事を違う角度から見れるんやと気付いた。日本の常識がオーストラリアではstrangeな事も良くあった。だから、周りに流されずにしっかり自分の軸を持って生きていかなあかんなと思った。(日本軸でもなくオーストラリア軸でもなく。) また、文化の違いから(そんな大げさなものでもないけど)相手(オージー)の言動に傷ついたりすることがあった。異文化の人と話すときはなおさら相手の気持ちを考えて話さないとだめだと思った。でも、オーストラリアでは8ヶ月通して基本Happyでした!! Q 日本出発前にしておけば良かったことは何ですか?特になし。 Q 費用は全部でおおよそいくら掛かりましたか?BBI参加費用 56万円 Q 出発前と現在の英語力は何が違いますか?どれくらい伸びたと思いますか?全く違う。オーストラリア1ヶ月目は英語を聴くこと、話すことに疲れていて、泣きそうになる時が何度もあった。今は英語を使うことが当たり前だし楽しい。新しいスラングや単語ももっと知りたいと思うようになった。 Q 今後の目標は何ですか?将来、教師を目指しているが、オーストラリアで教壇に立って教えたことやオーストラリアで暮らしてる中で、気付いた事感じたことを先生になる過程で生かせたら良いと思う。(採用試験などで生かせればと思っています) Q これから参加される方へアドバイスお願いします。ホストマザーでも日本語の先生でも誰でもいいから何でも話せる人をつくるのがよいと思います。ストレスをためないように思ったことは話すようにすると良いと思います。後は常にchallenge精神と日本語教師を楽しめばもうこっちのもんです! Q 現地サポートはいかがだったですか?最初現地について、誰も知らない人ばっかりだったので現地研修があることは大変心強かったです。派遣されてからもMonthly ReportやこまめなTEL等で気を引き締められたり、頑張ろうと思いました。本当にBBIにして良かったです。 |
オーストラリア |
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青島里恵さん
1979年生まれ
●プロフィール ●参加の動機・目的 ◇日本語教師関連の資格 大学の副専攻履修及び、420時間養成講座
▼学校のプロフィール 学校の地域 オーストラリア QLD州 Yeppoon(ブリスベーンより北に約680キロ)
▼私の体験談 「たくさんの人との出会いが、私を一回り成長させてくれました」かつて、大学で日本語教授法を学び、教育実習なども行い日本語を教える難しさを肌で体験しました。大学卒業後、日本語教師の道のりも考えましたが、日本では日本語教師の枠が狭いと言う事で、大学の教授の勧めもあり、企業でシステムエンジニアとして働く事となりました。しかし、「大学で勉強した事を生かし日本語を教えてみたい!」という気持ちが強く、3年勤めたあと、会社を退職しオーストラリアへ出発しました。 私は、YEPPOONという町で日本語教師を体験しました。自分が派遣されることにならなければ、場所も名前すらも知ることがなかったような小さな町、海辺の町でした。そこでの生活は、平日は学校に行き授業をし、週末はボートで島にいったり、シュノーケル、サーフィン、スケートボード、乗馬、魚釣り、カヌー・・・。 毎日が新しいことの連続で、新鮮で楽しくあっという間でした。10件以上の家にホームステイをさせてもらい、小さな町には、わたしのファミリーばかりになりました。そこで生活して私が学んだことは、「YES、NO」をはっきり伝えることと、いい意味で周りを気にしすぎないという事でした。人と同じが良しとされがちな日本で育った私は、おおらかでそれでいて自分をしっかりと持っているオージーはとても魅力的でした。 また、心に残った事として、人との出会いと別れです。小さな町だけど多くの人と出会えた分、最終日が近づいてくるのが、寂しくて仕方ありませんでした。ここで会ったひとりひとりとの出会いと別れが私にとって一番心に残っています。このたくさんの人との出会いが、私を一回り成長させてくれた気がしています。
▼ある日のスケジュール 6時30分 起床
Q 行なった授業内容を教えてください専任の先生について本を読んだり、会話の練習相手をしたり、日本の文化の紹介など、 文法を教えることより、リスニング、スピーキング中心でした。 Q 授業を一人で任されましたか? Yes専任の先生から「教科書○○ページを教えておいて」など指示があった場合は、その文法を勉強しゲームなどを取り入れて反復練習などをし、指示がない場合は、折り紙や日本の文化の紹介、日本昔話をみんなで英語に訳したり、カルタなどのゲームをしました。 Q 派遣地はどんなところでしたか?海辺にある小さくてきれいな町。のんびりとした雰囲気です。夏はとても暑かったです。 Q このプログラムを選んだポイントは?またこの国を選んだポイントは?大学で日本語教授法を勉強して、学生のときから日本語教師というものに興味がありました。また、このプログラムに参加することで、日本人の少ない場所で、おおらかなオージーと大自然に囲まれた環境で生活できることと、カウンセリングや研修などのバックアップ体制も充実していたこともポイントの1つです。 |
イギリス |
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山田美香さん●派遣先と期間:セカンダリースクール(中・高校) 1年間
▼私の体験談 私が滞在したところはロンドンから鉄道で2時間ほど北西部に行ったところにあるのどかなイギリスの田舎町でした。元々イギリスの生活に憧れていて、機会があれば長期間滞在してみたいなと思っており、また大都会ではなく静かな場所でのんびりとしたイギリス生活を送りたいと考えていたので、環境的には絶好の場所でした。 |
ドイツ |
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中田明子さん(30歳)●派遣先と期間:ベルリン市内のギムナジウムにて 1ヶ月間
▼私の体験談 私がお世話になった学校は「ゲザムトシューレ」といって、ギムナジウムとレアルシューレ、ハウプトシューレが一緒になった大きな学校でした。日本語の先生はドイツ人女性です。日本語の授業は9年生(15歳)のクラスで、火曜日に45分×2時間、金曜日に45分×1時間の授業がありました。水曜日には日本AG(アルバイトゲマインシャフト)というクラブ活動のような時間があり、日本に関するさまざまな活動をします。また、現在ベルリン市内のさまざまな高校から日本語を勉強している生徒が有志で集まってシアタープロジェクトという活動をしていました。これは、来年の「日本におけるドイツ年」におけるプロジェクトで、彼らが日本で上演する演劇の練習でした。全部で20人近い生徒が水曜の午後に私の学校に集まり、熱心に演技の勉強をしていました。 |
タイ |
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村田あつこさん(23歳)●派遣先:バンコク
▼私の体験談 タイ語が話せるわけでもない私にできることは、今の日本をもっともっと好きになってもらうことでした。 |